小袖曽我:歌舞伎舞踊と能の違いを実感した公演
- 3 日前
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800年以上昔の曽我兄弟による仇討ち。これを題材にした作品は「曽我物」と呼ばれ、数多くある。
先日、日本舞踊協会の公演にて、歌舞伎舞踊の形式の「小袖曽我」を観た。
能の「小袖曽我」では、主役であるシテは兄の十郎。しかし、弟の五郎も両シテと言われるほど重要な役とされる。
父の仇討ちを遂げたい曽我兄弟は、母の住む里にやってきて、最後の別れをする。
「家」という当時の社会構造の重要性や、「家族」という絆や愛が描かれている。
武士の教養だった能に対し、庶民の娯楽であった歌舞伎。
今回の舞踊劇「小袖曽我」という演目にもその違いがある。
同じく曽我物である、歌舞伎で人気の「寿曽我対面」では、主役は弟の五郎が荒事として描かれている。
今回の舞踊公演での「小袖曽我」でも五郎は血気盛んな若者であったが、女性舞踊家が演じているだけあって、母を慕い敬う気持ち、兄を慕い共に仇討ちにかける熱情などが舞台に充満していて見応えがあって楽しめた。
しかし、一点だけ、どうしても腑に落ちない場面があった。それは…
【腰元が勘当を解いてくれと母に言った場面】
(私の心の声:えっ?!勘当を解いてもらうために苦心するのは兄 十郎の役割なのに、なぜ腰元が言うの?)
頭脳派の兄 十郎と、肉体派の弟 五郎という対比は、周知のキャラクター設定。
だから、私は、五郎の勘当を懇願する場面で、十郎が活躍してくれることを期待した。
それなのに、なぜ腰元の身分の者が、雇い主である兄弟の母に「勘当を解く」という重要なことに口出しすることができるのか、腑に落ちなかった。
後日、五郎を演じた恵都子先生に聞いたところ、実はこの二人はただの腰元ではなく、兄弟の恋人(婚約者)だったと。
そういえば歌舞伎「寿曽我対面」に出ている二人の遊女。あれが「小袖曽我」では腰元として出ていたのだ。
能の「小袖曽我」の記憶の方が新しかったため、歌舞伎「寿曽我対面」で観ていた二人の遊女の存在をすっかり忘れていた…
今回の舞踊劇「小袖曽我」を観た時、歌舞伎特有の「世界と趣向の綯い交ぜ」を頭に置いて観ていたら、「腑に落ちない」という思いには至らなかったであろう。
ちなみに、能「小袖曽我」の詞章を初めて読んだ時、最初は、なぜ母は五郎の勘当を解いて仇討ちを許してくれないのだろうと、腹立たしく思った。兄弟が仇討ちという使命を果たすことを邪魔する母を、毒親と感じるほど苛立った。
色々調べるうちに、実は、仇討ちで命を落として欲しくない母としての子供への愛情から勘当を解くことを頑なに拒んだと知って、この作品の味わい方を知ることとなった。


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